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老技術者による日々の感想
by takajikurita
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810.  長い旅 (その日その日)

810.  長い旅  2011-6-7, Ta.
  いつも通りかかる駅の改札前に古本屋がある。先日は280円均一の文庫本が並んでいて、のぞいていると寺島儀蔵という人の「続・長い旅の記録:中公文庫1996」という本が目につき、仕入れてくる。
  寺島さんは、昭和3年、18歳で共産党に入って逮捕され、6年半を刑務所で過した。北海道の人だったので、釈放後、ロシア革命の理想を信じ、樺太からロシアに越境したが、2年後にモスクワで日本のスパイとして逮捕され、銃殺刑という判決を受ける(1938、29才)。 
  ところがなぜか銃殺直前に強制労働25年という判決に変更された。以来、極寒の地のラーゲリで、厳しい生活に耐えて労働18年、釈放は、スターリン死後2年余の1955年だった。
  このとき、すでに46歳、以後、様々な苦労を重ねながらロシアで生き抜き、晩年を暮らした黒海沿岸の小さな町、トアプセで、2001年に亡くなる(享年92)。
  憧れの故郷、日本に一時帰国できたときは83になっていた(1993)。
  この自伝をみると、かれは誠実な気持ちの優しいひとで、主義主張に凝り固まるタイプでないことが分かる。頭も記憶も良く仕事もできる、しかも体は丈夫、病気もせず92歳まで生きたのに、どうして日本、ロシア合わせて25年もの監獄生活を送る運命になったのか。
  読んだ私には、彼が誠実な善人だったからとしか思えない。シャバに出て、ロシアの農場で働いているときも、他の連中のように収穫をくすねて持ち帰るような、日本人としての誇りを傷つけることはできなかった。
  ただ、彼にとって唯一の幸せは、刑務所、ラーゲリでウクライナ出身の優しい女性、ナージャを知り、人生の半ばを過ぎて生涯の愛する人を得て、彼女の連れ子も育てたことであった。
  嗚呼・・

811. わがラーゲリの20年 2011-6-8, Ta.
 寺島儀蔵さんの「続・長い旅の記録」を読んで、すぐに本編をアマゾンで探し、孫に注文させた。夜にパソコン画面で発注、朝、コンビニに830円(1996年、出版時の定価1300円)を払い込んだら、翌日の昼に配達される。
迅速なのは驚きだが、本を入れる紙の袋が大きすぎて郵便受けに入らない。以前は袋のサイドを折って強引に突っ込んであったこともあるが、今回は玄関ドアの外に置いてあった(コンビニ受け取りにすべきだった)。
  ギゾー(儀蔵)が17歳のマージャに会ったのは、第二次大戦の終わった1945年で、ラーゲリで8年が過ぎ、彼もいくらか所内でも顔が利くようになっていたらしい。
  銃殺刑から、二十五年の長期刑に変更されたような受刑者は他にいない。スターリンに従わなかった政治犯や殺人犯は即死刑で、ラーゲリにいるような連中は泥棒や暴力などの荒くれヤクザが多く、刑期も、せいぜい5年か10年だ。
  彼は過去を話さない人だったので、一種の謎の大犯罪者として受刑者のひそかな敬意を集めていたらしい。
  だが、17歳の少女が5年の刑罰を受けたいきさつも凄い。彼女は空襲による廃墟の後片付けに動員されたが、作業のつらさに耐えかねて、友達と一緒に家に逃げ帰った。そこを捕らえられて、労働拒否の罪で懲役5年の刑となる。ラーゲリへの移動は吹雪の中を犬に追いたてられながらの強制歩行で、凍傷で指を三本失った。指の切断手術を受けて、すっかり落ち込んでいるところを、当時35‐6才だったギゾー(儀蔵)に優しい声をかけられ、以来、慕うようになったらしい。ギゾーもこんな可愛い少女が何故ここに?と不思議に思ったという。
  彼女は5年の刑が短縮され釈放になったが、ギゾーはいつ出られるかわからず、二人の連絡も絶たれてしまう。 
  その後、マージャは結婚して一児をもうけるが離婚、様々ないきさつがあって、幸運にもラーゲリを出た寺島さんと連絡がつき、嬉しい再会、連れ子のスラバと三人で、彼等はようやく温かな家庭を得た。
  以後ロシア各地を転々と暮らし、最後は黒海沿岸のトアプセに落ち着く。勤勉な彼は、機会あるたびに日本語の本に目を通し、勉強を忘れず、晩年はロシアで事業をする日本の会社の通訳を務め、経済的にも恵まれるようになった。
by takajikurita | 2011-06-07 10:45