446. 「百姓は豚」 (その日その日)
446. 「百姓は豚」差別感覚の変化 2009-8-31, Ta. (77)
私の父の世代だが、社会史家、中村吉治(1905-86)の学生時代の思い出に次のような一節があるという。
「卒業論文に農民史をやりたいと決めて、指導教授のところへ行き、腹案を述べたところ、先生はまことに冷然として、しばらく沈黙ののち、『百姓に歴史がありますか』と一言。これにはとまどって何もいえない。すると冷笑の見本のように唇を動かして、『豚に歴史がありますか』ときた。わたしは黙っていた」
これは昭和三年、東京帝国大学でのことで、先生というのは、その後「皇国史観」で有名になった平泉澄である。中村氏は、そういうことを言われて、かえってやる気になったという。
まさに隔世の感である。わたしは、その昔、民謡のレコードについていた小諸馬子唄の解説が印象に残っている。そこには、
「この馬子唄は非常に優れたもので、決して無知の農民や無名の庶民にできるものではない。だれか高貴な方によってつくられたにちがいない」と記されていた。
今では、こんなふうにおもう人はほとんどいないだろう。
わたしは自分の子供の頃の山村の生活を思い出す。貧しくて無知だったかもしれないが、下品ではなかった。
他人の悪口を言わず、善意を疑わず、たいていのひとは優しかった。家に鍵はなく、戸は開けっ放し、喧嘩や泥棒など見たことがないし、お金の話はしなかった。シャイな人が多くて、セックスのことも話題にしなかったので、中学生になっても人間は他の動物と違うとおもっていた。 都会のインテリからみるイメージはだいぶ違ったのであろう。
農民が平泉教授のような偏見の目で見られていたのかとおもうと、ただ驚くばかりである。
(土肥恒之著「ロシア皇帝の虚像と実像」参照)
私の父の世代だが、社会史家、中村吉治(1905-86)の学生時代の思い出に次のような一節があるという。
「卒業論文に農民史をやりたいと決めて、指導教授のところへ行き、腹案を述べたところ、先生はまことに冷然として、しばらく沈黙ののち、『百姓に歴史がありますか』と一言。これにはとまどって何もいえない。すると冷笑の見本のように唇を動かして、『豚に歴史がありますか』ときた。わたしは黙っていた」
これは昭和三年、東京帝国大学でのことで、先生というのは、その後「皇国史観」で有名になった平泉澄である。中村氏は、そういうことを言われて、かえってやる気になったという。
まさに隔世の感である。わたしは、その昔、民謡のレコードについていた小諸馬子唄の解説が印象に残っている。そこには、
「この馬子唄は非常に優れたもので、決して無知の農民や無名の庶民にできるものではない。だれか高貴な方によってつくられたにちがいない」と記されていた。
今では、こんなふうにおもう人はほとんどいないだろう。
わたしは自分の子供の頃の山村の生活を思い出す。貧しくて無知だったかもしれないが、下品ではなかった。
他人の悪口を言わず、善意を疑わず、たいていのひとは優しかった。家に鍵はなく、戸は開けっ放し、喧嘩や泥棒など見たことがないし、お金の話はしなかった。シャイな人が多くて、セックスのことも話題にしなかったので、中学生になっても人間は他の動物と違うとおもっていた。 都会のインテリからみるイメージはだいぶ違ったのであろう。
農民が平泉教授のような偏見の目で見られていたのかとおもうと、ただ驚くばかりである。
(土肥恒之著「ロシア皇帝の虚像と実像」参照)
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by takajikurita
| 2010-08-08 10:03