1896. 高橋健而老 (その日その日)
1896. 高橋健而老 2016‐7‐12, Ta.
昭和26年、18歳で田舎の高校を卒業し、大学の寮に入った。駒場の北寮12番である。その部屋の「牢名主」が高橋健而老だった。
田舎から出てきたばかりの少年には、近づきたくない存在で、怖いと思ったのは私だけではない。機関銃のように飛び出す毒舌や皮肉、うっかりそんな対象にされたら大変、もうなるべく目立たないようにしているしかない。
それから50年ほども経った頃、彼がテレビの「タケシ」の番組に出ているのを偶然見る。怖さに拍車がかかっていた。
まさに傍若無人、世間の常識を無視して、やりたいように生きてきた人だ。
工事場の交通整理から土方までやっていたらしい。人の指示に従うようなことはできず、普通の職場に納まる人ではない。
でも、彼の書いたものを見ると、かなり常識的で、あまり変わったことは書かれていない。私の書くものの方が非常識に見える。
長い人生には、いろいろ不思議な人にも出会う。
昭和26年、18歳で田舎の高校を卒業し、大学の寮に入った。駒場の北寮12番である。その部屋の「牢名主」が高橋健而老だった。
田舎から出てきたばかりの少年には、近づきたくない存在で、怖いと思ったのは私だけではない。機関銃のように飛び出す毒舌や皮肉、うっかりそんな対象にされたら大変、もうなるべく目立たないようにしているしかない。
それから50年ほども経った頃、彼がテレビの「タケシ」の番組に出ているのを偶然見る。怖さに拍車がかかっていた。
まさに傍若無人、世間の常識を無視して、やりたいように生きてきた人だ。
工事場の交通整理から土方までやっていたらしい。人の指示に従うようなことはできず、普通の職場に納まる人ではない。
でも、彼の書いたものを見ると、かなり常識的で、あまり変わったことは書かれていない。私の書くものの方が非常識に見える。
長い人生には、いろいろ不思議な人にも出会う。
by takajikurita
| 2016-07-12 08:39